↓いよいよ恐山菩提寺境内に足を踏み入れた深山。
地蔵殿でお参りをし、いよいよゴツゴツとした岩場ゾーンに入っていきます。
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硫黄のにおいと岩場にただよう雰囲気が異様で、ここは霊場なのだと早くも実感します。
慈覚大師堂
手ぬぐいで巻かれているお大師さまがいらっしゃいます。
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風車がいっぱい。
皆さん手を合わせていらっしゃいました。
大師説法之地
「恐山 心と見ゆる湖を 固める峰も 蓮華なりけり」桂月
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荒涼とした地を歩いていきます。すでに彼岸の地に足を踏み入れているのかしら。
ところどころ石が積まれている場所があります。
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その石のひとつひとつに気持ちが乗っかっていると思うと胸がきゅうと苦しくなります。
幼くして死んだ子どもは地獄に落ちやすいという思想が生まれました。それは、親に先立つ子どもというのは親孝行する機会がなく死んでしまうからという理由で。
人間としてもっとも大切な親孝行をしないで逝った子どもは地獄に落ちるということになってしまったことから、死んだ子どもは地獄の入り口である賽の河原で親孝行ができなかった罪を償うために石積みをさせられているという信仰が生まれたのです。
石を積むのは親のためです。
しかし、子どもたちがせっせと積み上げた石塔は鬼が完成させる前に崩してしまいます。
ですから、水子供養に訪れたならせめてもの助けだと思って石を積んであげるのです。
風車は子どもたちが地獄でも遊べるようにと親たちが供えているものだそうです。
もしも水子供養で訪れたなら、1つでも2つでも石を積んで子どもたちが早く成仏できるようにお願いしていきましょう。
八葉地蔵菩薩
少しずつ斜面を上っていきますと巨大な八葉地蔵菩薩さまがいらっしゃいます。
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周辺からは硫黄のにおいがしてきます。
しかしながら、風がピタリとやんで静寂な時がおとずれると硫黄のにおいが気にならずスッと祈りの時間を持つことができました。
何も聞こえないし、何の動物もいない不毛の地。
晴天に恵まれましたが、曇天だったらまた雰囲気が一変するのでしょう。
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賽の河原地獄のあちこちにオレンジへと変色した岩場がありました。水たまりがあった場所も黄緑色に変色していました。
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八角円堂
八葉地蔵菩薩さまからさらに山沿いを歩いていくと八角円堂に至ります。
なお、お堂の右手に休憩スポット(トイレ)あり。
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こちらは中に入れるようになっています。
こちらの内部には亡くなられたかたたちの遺品と思われる服や雑貨類が納められていました。
遺品が所狭しと置かれている状況に考えさせられました。故人の家族たちの気持ちはどれほどのものでしょう。
でもね。
この本州最北端の下北半島まで訪れてしっかりとご供養なさる気持ちは必ず故人に届いていると思います。そして、供養のお気持ちを持っていることと悲しみに暮れることは違います。
悲しくて涙を流すことが供養になるのではありません。むしろ親を悲しませていると鬼に怒られるのは子どもです。
亡くした子を忘れずに、それでいて日々を懸命に暮らしていくこと。
これでいいと思うのです。
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恐山ご参拝も佳境です。
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あと少し、お付き合いくださいませ♪