つまりは感謝の話

心地よい習慣
心地よい習慣

半袖になったりウールのコートを羽織ったりと寒暖差に体が追いつきません。

どーも、みやませいです。

秋用のコートを着る機会が年々少なくなってきましたね。

さて。

今回はちょっとした不思議な話です。

私は幼いころ何度も死にかけたことがあります。

すべて自身の不注意が招いた事故によるものです。

覚えているだけで3回は自動車にひかれて死んでいるはずなのですが、なぜか今まで無傷でことなきを得ています。

だんだんと大人になるにつれて、本当に運が良かったし奇跡としか言いようがない状況でよく無傷ですんだなと思っていたのですが、ある時から橋や歩道橋を異常に怖がるようになりました。

歩道橋を渡るときは車道を絶対にのぞきこまないようにしようと意識して歩くようになり、橋を渡るときは下に川があるという意識を持たないようにしています。

それが普通になってきたのですが、あるときにピンときたのです。

これってもう不注意を犯させないようにしているんだなと。

これまで通り生きていたらまたどこかで不注意による事故を起こしてしまうだろうと思ったご先祖さまのお計らいだと思ったのです。

きっとご先祖さまたちが3回は命を守ってくれたのだと思います。

そこで、「次はないぞ!」という釘をさす意味で恐怖心というものを与えてくださったのでは?

そう考えるようになりました。

この生かされていることに気づくことができたから良かったとみやまは考えていて、感謝もないまま生きてしまっていたら、ひょっとすると、いつかどこかで危険な事故に遭っていて、このように元気に占い師として暮らしていないのかもしれない、そう思う日もあるのです。

今では守ってくださっているご先祖様へ日頃の感謝を込めて手を合わせるようにもなり、改めて生かされていることへのありがたさを感じる日々でございます。

皆さんも不思議と危険から免れたなと思うようなことがあったとしたら、それはご先祖さまたちが御身を守ってくださったのかもしれません。

そのときは手を合わせて感謝されることをオススメいたします。

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