気になる言葉をいただきました。
「一段階完成されたかただね」
これってどういう意味なのだろう。
ずっと考えていました。
考えあぐねて結論が出ていない。
本人がわかっていない。
でも先方はそうだと思ってくださっている。
広い意味でほめられていると思うのですよね、この言葉って。
それで何が完成されているのか。
これが問題なんですよ。
みやまとしてはこの年齢になったら教養バッチリになっていて歌舞伎やら能やらをたしなんでいて、初心者レベルとはいえ文化背景を踏まえて観劇ができるようになっていて、短歌でも批評ができるようになっていたり、まったくの初心者さんに手ほどきできるようになっていて、社会情勢もなんとなくの会話に参加したり、いっぱしに意見も述べちゃったりして、映画のレビューだってお手のもので、お料理も完璧とはいえないながらも大体できるし、お出汁も鰹節でひいちゃったりして、突然の来客でもおもてなし料理がパパッと5品ぐらいできちゃって・・・
こんな感じで無限に理想の中年像を描いてきたのですが。
むり!
まったくもってできてなーーーーーい!
だけれど、完成されたかただねってほめてくれた人がいるんです。
この意味をどうとらえるかなんですよね。
唐突にこの表現が来たからねー
しかもほとんど会話したこともないんだよねー
だから怖いのだけれど。
なんだか言わなくても丸裸にされている感覚。
インスピレーションの世界は奥深いのですよ。
そうしてね。
もし完成されたというならば、おそらくどこでどうやってなんだけれど。
多分だけれど。
今のお師匠に出会って完成されたのかなと。
ずっと不思議なことに向き合うのが怖くて逃げてきたけれど。
もうこれは受け入れて進もうと思ったときに自分の器が完成されたんじゃないかって。
そう思うんです。
すべてのピースはそろった。
あとは修練だ。
と思ったのですよ。
そこが第一段階完成形。
ドラゴンボールでいうとスーパーサイヤ人ね。
スーパーサイヤ人で終わりかと思ったらどんどん進化していくので、まだこんなの序の口というか最近の映画版とかスーパーを通り越しすぎちゃっているし。
それに第一段階で満足してはいけないよ。
っていう発破も含められてのお言葉な気がするんです。
まだまだ道は遠いってこと!
まずは自分自身が自覚することから始めるー。
でもでも。
滝行を終えてますますインスピレーションが冴えてきたのです。
これをキープしながらより高みに持っていけるように修行します!
がんばろうっと。
( ๑>ω•́ )ﻭ✧