たとえそれが明らかなるワガママだとしても、そうした感情を持つことは自分に許してあげようと思ったお話です。
以前はちょこちょこと訪れていた道具屋さん。
たまに世間話を楽しみながらでしたし、あちらも顔を覚えてくださっていました。
このところ顔を出せずにいて、早く買い出しに行きたいなーなんて、ずっと気にはかけていたのです。
今日は行けるかなと思ってもあちらは休業日。
次に行けそうになっても荷物があまりに重くて断念・・・。
そのくり返しで。それでも壊れた道具を近場で買い足すのをひかえてそのお店でそろえようと我慢していたのです。
そうしてようやくお店に訪れることができたのですが、どうにもかみ合わない。
あちらはどうも私のことを忘れてしまった様子。
そもそも、ヘアスタイルを変えてメガネでをかけてファッションもちょい違う。いつも使っていた大きなバッグでもない。
ひょっとしたら別人に見えたのかも?
それとも、ほとんど寄り付かなくなってしまった客との雑談なんてわずらわしい?
ほしがりすぎだとおもいつつ、淋しい気持ちを抱えて帰路につきました。
これがカフェなどであればまた違ったのでしょうね。
いつもの席に座る、同じ時間に訪れる、同じものを注文する・・・。
見た目が変わっていても、多少寄り付かなくなっても気づくポイントは他にもあるでしょう。
ただ道具を買いにきて少し話すだけの人なんてきっといくらでもいるの。
少し遠い距離の人と世間話をするだけなのにそれすら繋がりを断たれたことがさびしいのです。
そうしてわき出てきたジメジメとした感情を見ないフリはしません。
その感情を受けとめて、そのうち穏やかな平常心に戻るまで待ちます。
多少時間はかかるかもしれませんが、どんな感情も自分が感じた大切な気持ち。
放っておかないで、なぜそのようなことを思ったのか、感じたのかをじっくり考えながら落ち着かせるのが深山なりの対処法です。
ほかでもない自分のこと。
やさしくしてあげたいですね。