花、一輪

暮らしと日常と
暮らしと日常と

私の母は生け花の師範でした。

ついでにいうとお茶も師範でしたし、書道も絵も上手にスラスラーッと手を動かしています。

花嫁修業の一環として一通りやったのだそうです。
 
ですが、娘の私に何かを教えてくれたことはなかったように思います。

あるとき、古びた木の看板を見つけたときにようやくそれがお茶の師範の看板だと教えてもらったくらい。

クリスマの時期になると母の友人のお店に飾るクリスマスリースを母が徹夜で完成させていたことを今でも鮮明に思い出します。

毎年趣向を変えて作るリースは見事な出来栄えで、母のことを眩しく感じたものです。

そんなふうに花をいじるのが好きだった母が結婚式前日にウェディングブーケを作りたいと言ってきたのです。

当然のことながら式場でブーケは注文していたし、そもそもいくら親子だからって前日に伝えるようなことではありません。

母には即座に断りを告げました。

その数年後、私の従姉妹の結婚式に出席した母が花嫁にブーケを作ってあげたと報告がきました。

うれしそうに華やいだ声で話す母を見て心が痛みました。

本当は娘の私がしてあげなければならなかったことなのにーー。

心の中で葛藤しました。

前日の夜にお願いされてもそれは無理! 

それならば、自分がそれに気づいて前もってお願いしておけばよかった? 

作ってもらったブーケを披露宴の間に少しだけでも持つことはできなかった? 

結婚式前夜のことを思い出してはほろ苦い感情が思い起こされ、自分自身を叩きのめすこともありました。

ですが、はたと気づいたのです。

自分を責めるのはもうやめようと。

母に責められたわけでもないのに自分自身を追いつめて傷つけているのは何より自分自身だったからです。

「花」のある日常を

娘である私は母の素養を受け継いでいるわけではありませんが、花を飾るのは好きです。

仕事がひと段落したとき、嬉しいことがあったとき、気持ちを切り替えたいとき。

私は花屋さんのドアをくぐります。

あれこれ買いたくなるのをグッと我慢して一輪だけ。

あれもこれもと欲しくなるけれど、根っからのズボラな私が面倒を見られるのは一輪がいいところ。

とりわけバラはよく手にします。

コロンとした小柄でかわいらしい蕾が徐々に開花していく様子をゆっくり眺めながら過ごしていくと、心がゆるんでいきます。

甘い香り、深い香りとその花ごとの香りを楽しみます。

せわしない日常を送っていると、あっという間に咲ききっていることもあります。

そんなときは少し疲れがたまっているのかもと思い、やさしい色合いの花を買いにお出かけ。

心にも栄養が必要です♪

お花は華やかで美しいだけではなく、心がなごみます。

どんなに忙しくても、家の中をきれいにして花を飾る心の余裕があるといいですね。

家の中をきれいにすることは開運の基本ですから、心がけていれば好転し始めるでしょう。

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